赤池 卓(あかいけ たく、1947年8月6日 - 2023年7月22日)は、日本の元実業家、レーシングドライバー。
経歴
山梨県甲府市(旧中道町)6人兄弟の次男として生まれる。生家は農業と給油取扱所を運営していた。旧山梨工業高等高校を卒業後、マツダオート山梨に整備工として就職。その後、家業に従事する一方で国内のジムカーナに参戦し、本格的な国内外レース活動に移行した。
レース活動を継続していく上でマツダオート山梨、ダンロップ、スタンレー電気、エンケイ、Benihanaとの長年関係が深かった。特にマツダからエンジン、車体供給を受けながら、富士グランチャピオンシリーズ、耐久シリーズ、ツーリングカー選手権などのカテゴリーに参戦。
1970年代は、マツダカペラ、サバンナGT、ローラT290(ロータリー13Bエンジン搭載)などを幅広く乗りこなし、マツダ系ドライバーの一人と目された。
1980年代に入ってからは、自身のレーシングドライバー業に拘らず、自動車メカック・エンジニア・レーシングドライバーを目指す国内外の若手人材育成にも注力。これが縁で駿台自動車専門学校 理事・講師を歴任し、多くの人材を育成した。
1990年以降は、ナビコネクションレーシング、タクモータースポーツの監督として全日本F3000選手権、フォーミュラニッポン(現スーパーフォーミュラ)全日本F3選手権などのレースに運営に関わった。
エピソード
- ジムカーナ時代は、マツダキャロルを自身でチューナップし、エンジンを800ccまで排気量をアップさせた。
- 1976年富士グランチャピオンレース第1戦でレーシングマシンのトラブルによるアクセル・ワイヤーが戻らず、ガードレールに衝突。重症を負い、1年以上の療養を余儀なくされる。
- レース活動当初からBenihana創業者 ロッキー青木と公私ともに親交があった。1978・1979年は World Challenge for Endurance DriversにマツダRX3でアメリカ遠征・参戦。Benihanaがスポンサード。
- 1970年代後半から1980年代前半までは、TAISAN International 千葉泰常とレース活動でタイアップ。
- タイ王国自動車レース普及活動をライフワークとし、モータースポーツの振興に努める。 同国との深い繋がりが晩年まで続いた。
- 現役時代より英国自動車レースに注目していた関係でTWRとタイアップし、1986・1987年 全日本ツーリングカー選手権でローバー・ビテスをドライブ。
- 英国 Van Diemen International 創業者 Ralph Firman, Sr.と1990年代にレース活動で協力。
- エンジンチューナートリイレーシング、近藤ガレージは、タクモータースポーツ依頼の全日本F3選手権・全日本ツーリングカーマシンなどのメンテナンスを行った。
レース戦績
ジャパンスポーツセダン
全日本耐久選手権/全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
世界耐久選手権/世界スポーツプロトタイプカー選手権
全日本ツーリングカー選手権
N1耐久シリーズ
富士グランチャピオンシリーズ
スーパーツーリング




