小山 益太(こやま ますた、1861年10月15日(文久元年9月12日)- 1924年(大正13年)7月1日)は、日本の園芸家である。号は楽山園。
経歴・人物
備前の赤磐郡稗田村に生まれる。幼少時に漢学を学び、後に廃藩置県により赤磐郡議会の書記を務めた。その後園芸栽培の活動を始め、同地で生産されるモモやナシ、ブドウ等多くの果実の品種改良に携わる。
またその果実の袋掛け法の改善や害虫駆除のために、殺虫剤の研究開発にも携わった。この開発は後に石油浸出法による石油乳剤を用いたものであり、「六液」の名で知られ普遍的に多くの農家で使用された。その後も果実の販売向上のために市場の開業や、大原奨農会(現在の岡山大学資源植物化学研究所)からの招聘よって果樹園の経営にも携わった。
脚注
外部リンク
- 資源生物科学研究所 小山楽山翁(益太氏)について - 岡山大学資源植物化学研究所




