本多 忠誠(ほんだ ただしげ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。陸奥国泉藩の第3代藩主。官位は従五位下・河内守、越中守。忠以系本多家6代。

略歴

宝暦11年(1761年)1月、第2代藩主・本多忠籌の庶長子として誕生。正室所生の弟・忠雄が世子となっていたが、天明5年(1785年)に父によって廃嫡され、代わって忠誠が世子となる。寛政11年(1799年)10月23日、父の隠居により家督を継いだ。

藩政においては父の政策を受け継ぎ、農村救済や学問の奨励、さらに藩財政再建を目的とした倹約を行なっている。文化12年(1815年)7月5日、長男・忠知に家督を譲って隠居する。天保3年(1832年)3月8日に死去した。享年72。

系譜

父母

  • 本多忠籌(父)
  • 後藤氏 ー 側室(母)

正室

  • 八百子 ー 板倉勝暁の娘

側室

  • 美保子(美代)

子女

  • 本多忠知(長男)生母は八百子(正室)
  • 松平忠衛
  • 遠山景祚
  • 本多忠慎(四男)生母は美保子(側室)
  • 安藤忠隆
  • 荒木忠寛
  • 本多忠弟
  • 本多忠久
  • 秋田貞行
  • 千子 ー 稲葉正盛正室
  • 俊子 ー 小谷忠貞室
  • 豊子 ー 荒木忠純の養女

養女

  • 曾根子 ー 山口弘致継室、本多忠雄の娘



本多忠純 栃木県人物風土記

本多忠勝_極 HASEL

系図から見たサラブレッドイケメン本多忠刻 戦国ヒストリー

本多忠勝はどんな人?なぜ最強と言われるのかをエピソードも交え年表解説 京都PAGE

本多正信の死因と最後をわかりやすく解説!子孫の現在とは? 最期と原因ドットコム