國枝 博(くにえだ ひろし、1879年6月20日 - 1943年8月6日)は、岐阜県出身の建築家。朝鮮総督府に在任中には主任技師として朝鮮総督府庁舎の設計に携わった。その後は大阪市を拠点に活躍した。
経歴
1879年(明治12年)6月20日に岐阜県に生まれ、1905年(明治38年)7月に東京帝国大学工科大学建築科を卒業した。1907年(明治40年)8月には韓国統監府技師に任ぜられ、朝鮮総督府工事の主任技師を務めた。1912年(明治45年)4月には欧米各国へ出張している。
1918年(大正7年)9月に高等官3等に昇叙すると、同月には願により退職し、10月には正五位に叙せられた。1919年(大正8年)10月、大阪市に國枝工務所を開設した。
1943年(昭和18年)8月6日、64歳で死去した。
主な作品
脚注
参考文献
- 『建築と社会』日本建築協会、第26集第9号、1943年9月
- 『建築雑誌』建築学会、第41集第492号、1927年2月
関連項目
- 日本の建築家一覧
- 岐阜県出身の人物一覧
- 東京大学の人物一覧


